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2009年4月22日 (水)

代田・下北沢のお茶を語る

『世田谷ライフWeb版』世田谷線、特集vol.06「昔、世田谷に茶畑があった」世田谷のお茶「齋田茶」について語りました。
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同記事中のエピソード「なぜうちのお茶が三等しかとれないのか?」の出典は『狭山茶と内地需要の趨勢』と題する繁田武平(満義)氏の講演です。埼玉県茶業組合連合会議所(1933年(昭和8)5月27日、4版(1933年5月30日))発行の同名小冊子に残されています。

狭山茶の名誉のために補足しますと、同講演では続けて以下のように述べています。
「ただ品物を出して見ただけでは判らんが、同一のものを同一場に、各府県の選手を集めて造つたところにここに実験が生ずる。二年目から私立の伝習所を設けて改良製を弟子に教えた。数は二十五六人居つたと思ふ。それが能く製造に堪能になられたものが、抑々改良製といふ名前の付いた由来であるといつて良いと思ふ。それ以来、これは私一人の力ではないが、さういふ方面に技術家が出た為に、博覧会、品評会に於いて、優良なものが頻々と得れる。これに因つて優良賞を獲ることが出来たが、これは狭山茶改良の中古に於けるところの発端であります。」
このエピソードをきっかけに狭山茶の品質がより一層向上したということです。
また静岡茶の名誉のために付け加えますと、内国勧業博覧会当時の静岡茶は主に輸出品でしたので、内需を対象とした宇治茶や狭山茶と比較すると上位のお茶が少なめだったようです。なお、同博覧会の最後となる第5回で、同県の富士製茶が名誉銀牌(2位クラス)を受賞しています。

齋田記念館では企画展「江戸の本草画家」が開催中です。

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